私のストーリー(2)

昨日の
(1)
https://technocare.ocnk.net/diary-detail/10
に続きまして
今日は大学時代
長いです。
11年🤣
生物科学科に入学し
平々凡々な学生生活を送り
(まぁそれなりに少しはいろいろあったけど)
4年生になって
卒業研究
「精神と物質」の初心に立ち返り
選んだ研究室は
分子生物学講座
教授に与えられたテーマは
イモリの精子形成過程
培養の技術を使って
精子の元になる精原細胞の
増殖や減数分裂開始はどのように制御されているのか
それを調べるというものでした
1995年当時の研究室には
教授、講師、助手、先輩たち
面白い人たちが何人もいました
酔うと女子学生の胸元を覗こうとする教授
(当時は大らかだった笑)
バチバチ牽制し合っている講師vs助手
机の上は論文だらけ
きったない格好で
研究室に住んでいるかのような大学院生
みんな人間的な魅力あふれる
愛すべき人たちでした
培養の技術を直接伝授して下さった先輩とは
今でも年賀状の交換が続いています💕
卒業となる1996年
当時は就職氷河期☃️
何の資格が取れるわけでもない理学部💧
まわりの同級生たちも
特別就職活動をしている風でもなく
教授に勧められるまま
何となく修士課程に進学
手先の器用さと集中力だけはあり
朝から夕方までかかる実験を
ひたすら繰り返す日々を送っていました
で
何か大発見があったかというと
それほどのこともなくて
というか
それは
研究に対する
私の理解力のなさと
オリジナリティを打ち出せるような
創造力のなさが
そういう結果しか出せなかった
ということなのですが
とにかく
私は研究者は好きだけど
研究そのものには向いてないのだと
このころやっと分かってきたのでした
それなのに
うーーーむ
と苦しみながらも
またもや
勧められるまま博士課程へ😅
研究室自体は好きだし
技術は認められていたし
頼りにされていろいろやるのが
感謝されたり
感心されたりしたのが
それはそれは嬉しかったものです
学会やセミナーで出会う
他大学の研究者たちも
みんなキラキラと魅力的で✨
いきものの体づくり
1つの細胞(受精卵)から
いろんな形の生命体が出来上がっていく
そんな不思議にとりつかれた研究者たちが
喧々諤々議論を交わす姿は
とても眩しく輝いて見えました🤩
あぁこの世界大好き❤️
それでももう
ここでちゃんと論文を書いて
博士号を取るなんて力は私にはない
何とか次の行き先を探さねばと
必死にもがいていました💦
私が本当にやりたいことは何❓
私の大好きな研究者たちのことを
社会にもっと知ってもらいたい❣️
マッドサイエンティストとか
そんな一部の偏ったイメージは払拭して
もっと一般の人たちに
科学の面白さを
研究者の魅力を伝えたい‼️
そこに行き着いた私は
当時知り合った
朝日新聞の記者さんに励ましてもらいながら
雑誌「科学朝日」あらため「サイアス」に
記事を投稿したり✍️
それが何度か採用されると
無謀にも入社試験を受けてみたり
(当然落ちる…英語が激ムズだった😂)
中村桂子さんに憧れて
JT生命誌研究館にアプローチしたこともあったな☺️
(身の程を知れ🤣)
そうやって
アンテナを必死に伸ばしていたところ📡⚡️
熊本県立博物館構想
なんていうものが立ち上がったとの噂を聞き
飛びついた‼️
博物館のテーマは「人間」だという💕
ドンピシャやん‼️
私、そこで学芸員になりたい❣️❣️
教授に泣きながら博士課程中退を訴え😭
時は1998年秋
教授は梨を器用にむきながら
そんな私の話を聞いて下さいました
そして
その博物館準備室(医学部)で
アルバイトを始めることができたのです🙌
それは「サイアス」の熊本版
熊本日日新聞社発行の月刊健康情報誌
「まいらいふ」の編集・執筆業務📖✍️
(博物館展示のネタ集め)
でした
ここで学生生活前半戦終了
あれ?
学生はここで終わりじゃないの?
はい、まだまだ終わりません(笑)
後編へ続く
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